これまで何度も日記を書こうと思い立ち、その度に挫折してきた。日記を書くために新しいノートを買ったり、いっそ白紙に殴り書いてやろうとしたり、色々試したものの、とにかく続かなかった。
そもそもメモを取る習慣がない。授業の板書も基本的に取らなかった。数学や物理なんかは、それこそ白紙に殴り書いて、満足したら丸めてゴミ箱に捨てていた。居合の稽古でも、先生方や先輩に教わったことを書き残すということを、殆どしたことがない。大事なことは鍛錬を重ねるうちに自然と身体に染み付いているものだと確信しているし、事実僕の演武は身体が覚えていることで構成されている。
日記に限らず、記録を残すことが全般的に苦手なのだろうか。授業資料を丁寧にファイリングしたり、なんならカラフルにマーカーを引いたりしている人をかっこいいなと思いながら眺めていた。小学校の頃は、ランドセルの奥底からこれでもかとくしゃくしゃのお手紙が出てきて、よく母親に怒られていた。中高のころは、期末試験が終わってから、せっせとプリントを切り貼りして提出用のノートを拵えていた。いや、もはやプリントは切ることすら億劫に思えて、B5のノートにA4のプリントを4つ折りにして貼り付けて提出して、先生にしかめ面をされていた。でもお手紙は配られた時に読んで面白そうな内容は覚えていたし、期末試験の勉強は、記憶を頼りに問題集を解いて乗り越えていた。記録に残すというより、記録に残っているという方が、僕の性に合っているのかもしれない。
とはいえ、単発の日記なら書けんこともないだろうと、紙コップ氏からのバトンを引き受けたわけだが…。結局筆は進まず、日付を超えてしまった。どうしたものかと休憩がてら立ち寄ったセブイレで何気なくドラゴンボールの一番くじを引いてみたところ、なんとA賞が当選して、今僕の左手元には40センチ大の孫悟空が鎮座している。
こういうくじって本当に当選するのね。素直に嬉しい。でもせっかくなら左横のラディッツが欲しかったなあ。
こんな思いで今パソコンを叩いている。この日にこんなことを思ったってことを、何十年か後にこの日記を見て思い出すことがあるのかしら。そうであれば、日記として記録に残すことも、悪くないわね。
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