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2026年3月19日

昼休み、コンビニでコーヒーを買って店を出ようとすると、入れ替わりで入店しようとする若い女性と扉を挟んでバッティングする。
扉を開けて、すっと身を引く。「お先にどうぞ」と口にすることはないかもしれないが、軽い笑顔と小さな会釈で見せて、ささやかなコミュニケーションの交錯を楽しんで、女性に道をあける。
というのは、あくまで嘘である。いや、正確にいえば、別に道をあけるとか席を譲るみたいなことは、わざわざ日記に書かずとも自然にやっていると思うのだが、今日に限っては勢いよく女性が開いた押し扉の隙間を潜り抜け、無作法な態度で店を出たのだった。
別に特段急いでいたわけではない。とにかく心に余裕がなかった。それは諸々の進みがはかばかしくないせいもあるが、目下のところ、仕事がうまくできないからだ。そして進まない仕事の原因が大方自分の無能さに起因するものであることを自覚しているがゆえに、心ばかりが急いて不機嫌な態度として身体に出てしまっているからだ。
店を出た後、大いに反省をする。これは非常によくない。もとより気分に行動が左右されやすい人間であるという自覚はあるものの、それを抑えきれない自分を見ると、毎度のことながら情けなく思ってしまう。
帰宅して家に入ろうとすると、財布の中に鍵が見当たらない。鍵だけはいつも同じ場所にしまうことが習慣化されているから、ここに入っていないということは、紛失したこととほとんど同義である。二年以上前に、財布を無くして夜通し新宿を歩いた記憶がフラッシュバックする。
が、改めて確認をすると、鍵穴には鍵が挿さっている。鍵を挿しっぱなしにしたまま家を出てしまったのだろう。自分の不用心さにほとほと呆れつつ、しかし家を出る前からどこか心が浮ついていたのだろうと推測をしてみたのだが、よくよく考えると、「鍵を開けた」ことを忘却した可能性もあるなと思い直す。もし後者が事実であったならば、それは単なる不注意とかではなく、何かが明らかに不調であることを示す出来事であるだろう。それはちょっと嫌だな。ちょっとというか、とても嫌だな。
ただ、鍵を挿しっぱなしにしたのか、それとも鍵を挿したことを忘却したのか、どちらが事実であるのかは誰も知る由がない。
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