今日は、留学生に向けて開講されている政治学の講義と明日の英語でのディスカッションの練習のためのチュータリングのために大学に向かう。
どうやら日本の大学の場では、国際指向を持たない者でも、英語でコミュニケーションを行うことは避けては通れないらしい。少子化によって、大学も日本語を話す者だけを受け入れるだけでは、経営が難しくなると考えているようだ。「〇〇さんは、英語ができることでこういう仕事ができている。」という、裏には「英語のスピーキング能力をもっと上げろ」という意味があることが容易にうかがえる話をされたばかりだ(念のために言い添えると、私のことを考えてした話であり、私も好意的に受け取っている)。
まだまだ、日本語を介することなく、英語でコミュニケーションをとれない私は、頭の中に浮かんだ文を、翻訳するために簡単な文に言い換え、それを英語に変換して、ようやく話し始めることができる。中学から英語を学んでいるはずなのに、あまりに進歩していない。
英語での会話の後は、自分の考えをうまく伝えられないこと、拙い英語を一生懸命理解しようとしてくれる相手に対する申し訳なさ、あのことは本当に伝わっているのかという不安からくるのであろうストレスが毎回一気に押し寄せる。今日は、一度ふて寝をする。ここ数年のストレス解消法は、もっぱらふて寝と暴食であり、この不健康のつけを払う未来の自分に申し訳ない。
友人から協力をしてほしいということで、日記を書いているが、あまりにつまらない日であることに我ながら驚いている。さらに驚くべきは、このような日々がほとんど毎日続いているということである。ただ、明るい内容の日記はどのようにしても書けないが、わりと満足した人生を送っているということは強調しておきたい。
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