同僚がSlackで「明日までの赤福があと六個ある」と呟いていて、ふと半年くらい前にもらったお土産の赤福のことを思い出す。
学会のために東京にやってきた友人と新橋で飲む。今は東京に住んでいる友人とも一緒に三人で会う約束だったが、労働者である僕と彼は涙の残業が発生し、はるばる京都からやってきた人間をタイ料理やで小一時間待たせてしまう。
申し訳なさと再会のハイテンションでグングンとお酒を飲んでしまい、勢いそのまま二軒目に流れ込む。洋楽が流れる店内で昔話やら近況報告やらを聞いたり話したりしつつ、終電間際で家に帰る。
友人は僕の家に泊まる。家に着くと速攻で布団を敷き、シャワーも浴びずに就寝。とはいかず、ぐだぐだとおしゃべりをして結構深い時間まで起きてしまった気がする。華金であることにかまけて、学会を明日に控える彼に寝不足を強いてしまう。
とはいえなんとか朝のうちに起床。朝ごはんを適当に探していると、友人が手土産の赤福を渡してくれる。ありがたく受け取るものの、八個くらいのあんこに包まれたご飯は、すでに賞味期限の終わりまで二十四時間も残されていない。二人して昼から夜まで外出の予定があり、つまりはこの赤福を美味しくいただくためには、朝ごはんとして一気に食らうほかない。
しかし、前夜の飲酒が祟り、胃腸がグラグラと揺れている。うっすらと頭も痛み、要するに二日酔いなのである。
赤福は美味い。甘くてボリューミーで、そこら辺のお土産に比べて満足度が段違いである。みっちりと押しつぶされた米をキメの細かいこし餡が包み込んでいて、あらゆる食べ物の中でも圧倒的な密度を誇る。
が、その重さが、二日酔いの僕たちには随分とハードなのだ。お土産をもらっておいて文句をつける気はない。というよりも、純粋に嬉しいしありがたいのだが、よくよく考えると一人暮らしの人間に赤福は圧倒的なまでにキャパオーバーなのである。
というわけで、朝ごはんに赤福を五個くらい食べる。コーヒーとの相性は最高だった。確かにパンパングルグルのお腹にはなったが、やはり何度でも何個でも赤福のお土産を持ってきて欲しいと思う。
昼ごはんは軽めに済ます。


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