仕事終わりに赤坂でタイ料理を食べる。
職場を出て、アメリカ大使館の目の前にあるそのお店までの経路を調べると、距離としては1.5kmくらいなのに乗り換えが必要とのこと。トータルで30分くらいの時間がかかってしまうらしく、時間効率の悪さを考えると少し渋い。ただタクシーに乗ると1,500円もするようなので、これもいまいち。安易にタクシーに乗れてしまう金銭的な余裕は全くない。
そこでふと、レンタサイクルを使うことを思いつく。いや、家の近くでは頻繁に使っていたし街中でもしょっちゅう見かけるし、「思いつく」というほど大層な発想ではないのだが、「出かけた先でレンタサイクルを使う」という思考回路がなぜかまったくなかったのである。
近くのポートまで行って自転車に跨り、都心を気持ちよく疾走しながら、こんなに便利な仕組みをなぜ利用してこなかったのかと考える(安易にタクシーに乗って失ったお金が今あれば……!)。
要因として考えられるのは、「自転車に乗った以上、移動は自転車で完結すべき」という思い込みが、自分が考えているよりもずっと強かったことだ。
レンタサイクルという仕組みは「乗り捨てができない」という自転車の弱点を払拭するためのサービスである。既存の仕組みのネガティブな点を取り払うことで、新たな価値を生み出している(だからサービスとして成立する)。
ただ、盲点だったのは、仕組みとしては排除できているのに、印象としてはネガティブな点が残り続けていたことだ。「乗り捨てできる自転車」を謳っていても、「自転車は乗り捨てできない」という常識がそれを上書きしてしまう。結果、短い距離の移動で「レンタサイクルを使う」というアイデアはなかなか生まれてこない。
もちろんこれは僕個人の頭の固さによるものかもしれない。ただ、少なくとも十年以上親しんできたものに対する固定観念は想像以上に強いこともまた事実だろう。そしてそれは、どんなに丁寧な説明を受け、その利便性を細かく知ったとしてもなかなか覆らない。「この距離ならレンタサイクルを使おう」とパッと思いつくようになるには、単なる説明を超えた何かが必要になる。
おそらくはその何かこそ「経験」なのだろうと思う。たまに見てしまうビジネス啓発系の記事なりYouTubeでも、「経験の価値」はしばしば取り上げられている。「経験は残る」「これからの時代は情報ではなく経験だ」云々。
じゃあその経験をするためには……? あるいはサービス提供者の立場に立って、その経験を味わってもらうにはどうすれば良いのか……? そんな問いを考えてみる。
個人的には、なんとなくレンタサイクルを使うだけでは不十分だと思う。「一度試してみるか」と興味本位で使ってみたり、「こんな便利なサービスがあって」と知り合いに勧められたりするだけでは、なかなか「自転車は乗り捨てるものだ」という常識を覆すことはできない。僕だって、レンタサイクルは何度も使っている。使っているのに、短い距離の移動の第一選択肢として、自転車という発想は浮かばなかったのだ。
おそらくは、使い手が「あ、これ使える」と自発的に気づく必要がある。誰に勧められたのでもなく、「ふと思いつく」ような体験。ひらめくような感覚があってはじめて、人は長らく親しんできた常識を塗り替えることができる。
では、昨日僕が「レンタサイクルをひらめいた」のはなぜなのだろう? 電車の乗り換えが不便だったから? タクシーに乗るお金がなかったから?
どれも一定の理由ではあると思う。「電車に乗るのも歩くのも同じ時間やんけ」という失望感や、「タクシー代を払いたくない」という切実さが積み重なって、僕はレンタサイクルを発見した。ただ、やはりそれだけではない。どちらかというと、その思いは「ひらめくための下準備」であって、魔法のような発想をもたらした主たる要因ではないように思える。
その時のことを思い返してみる。
- Googleマップでレストランまでの行路を調べる
- 電車で30分かかることに落胆する
- 車で行くと10分くらいだから、タクシーの値段はどれくらいになるだろうとかと思う
- UBERのアプリで費用を調べる
- 1,500円くらいかかりそうで渋いなと思う
- UBERのアプリを閉じたら、その横にあるレンタサイクルのアプリが目につく
- 自転車で良いじゃん、とひらめき、アプリで近くのポートを探す
「行き方を迷っているタイミングで、レンタサイクルのアプリを見つけた」ことがひらめきを生んでいた。単純な話なのだが、「欲しいものについて一定の知識(レンタサイクルは乗り捨てが可能であること)があり」かつ「その欲しいものが欲しいタイミングでそこにあった」からこそ、僕は自転車を使うという発想に至ったのである。つまり、「欲しいと思ったタイミングで、欲しいものが目につくように設計すること」が重要だということ。
今回は僕がたまたまUBERとレンタサイクルのアプリを隣に置いていたのがひらめきの理由だが、おそらくはこの「発想のタイミング」を設計するのがいわゆる「デザイン」なのだろうと思った。となると、Googleマップの段階でポートの位置がわかったり、UBERのアプリを閉じるタイミングで「自転車はいかがですか」なんてポップアップが出てきたりするのがより理想的なデザインなのだろう(もちろんそれが実現できないのは諸々の経済的・政治的な理由があるはずだ)。
一年目マーケターみたいな素朴な感想をつらつらと書いていて恥ずかしくもなるが、この考え方は今後あらゆるタイミングで役に立ってくるだろうと思う。というよりも、話としては知っていたような考え方だが、「自転車をひらめいた」タイミングで、「考え方をひらめいた」のは思いの外理想的な学習のあり方かもしれない。
タイ料理は美味しかった。


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