定時を過ぎて20時頃、職場の方に「これからも絵は描き続けるんですか」と質問された。
“これからも”というのには理由があり、私は数日後、数年勤めた今の会社を退職する予定だ。正確には「今月末で」と言った方がいいのかもしれない。
先の質問に関して。私は美大を卒業したわけでも、絵を習っていたわけでも、美術部だったわけでもなく、単純に趣味で絵を描いている。 縁あって、クリエイティブ系でもない今の会社で、少しばかりその趣味を活かせる業務を任されてきた。
問いを受け、“絵を描くのをやめる”ということをイメージできず、なんだかとても不思議な気持ちになった。
多くの人はきっと、生活の中に“絵を描く”という習慣は組み込まていない。私の生活に“運動”が組み込まれていないのと同じように。 (これは健康に直結するので、改めなければならないとは常々思っている)
結局、「絵は続けますね。続けるというか、それがもう生活の一部なので、描かないという感覚がわからなくて。なんなら絵を描きながら“絵を描きたい”って思ったりしますよ」みたいなことを返した。
深く考えたわけでもなくこう答えていたので、私の人生において“絵を描く”ってそういう位置づけなんだなと、第三者のような視点で納得していた。
ただ、絵を描くことは、たまに酷く苦しい。過去の自分の絵を見返せば、高確率で破り捨て燃やしたい衝動に駆られる。 それでも、50枚中1枚くらい「ちょっといいな」と思える絵が出てきたりする。 その「ちょっといいな」が、なんの前触れもなく見つかってしまうから、絵を描くことはやめられない。
だからこれからも絵を描くんだろう。 仕事を辞めても、きっと。
とは言うものの、今日の時点でもまだ自分の仕事に追われていて、終わる気配がない。これもその「絵」に関する業務なわけだが、そもそも着地点がよくわかっていないから、延々とやり続けてしまう。 この期に及んでおかしなこだわりが暴走して、出口のない迷路に迷い込んでいる心地だ。普通に焦る。
デスクだって、あまりにも“来月も勤務してますよ”みたいな雑然とした様相を保っていて、数日後の自分が本当に「お世話になりました」と言えているのか、だいぶ怪しい。 ただでさえ片付けや整理整頓が苦手なのに、明日の自分が頑張ればいける、という逃げの定型文を、退職直前まで唱えるはめになろうとは。
それでも敢えて言う。 仕事、お疲れさま。 だからこそ最後くらい、納得できるまでやれ。
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