夕飯は日高屋で済ませる。
イヤホンで音楽を聴きながらレバニラ定食を食べていると、二つ隣の席から「野菜たっぷり定食野菜少なめの方」との声が聞こえたような気がする。
絶対に聞き間違いである。カップルらしき男女で、おそらくは女性が「麺少なめ」を頼んだのだろう。枕詞を台無しにするオプションをつける理由などない。
ただ、「たっぷり」と「少なめ」が共存する言葉は面白い。モニターとスピーカーと映像を再生するソフト、その3つの音声ダイアルをそれぞれ調整するみたいな感じだな——と、どこへ着地するでもない連想を小さく広げてみる。
食事中に、いわゆる「批評」的な文章を読んでいた。人文系にかぶれた人間が少なからず通るあの独特の文体を読んでいると、そういったものに憧れていた頃の自分を思い出す。たとえばダッシュの使い方一つとっても——それをこんな風に補足として一文のあいだに差し込んでみたりする——、今となってはそれは一つの芸風であったのだなと感じざるをえないのだが、とはいえその質感はやっぱり心地が良い。自嘲も兼ねて「ネチョネチョ人文学」と読んだりもするその文体は、紛れもなく僕の青春を構成しているものであり、内容がどんなものであっても、どこかグッとくるところがある。


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