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2024年7月24日

寄野海遊さんの日記

4月、脱サラを決意した春。

俺、漫画家になる。

───あれから3ヶ月

会社の昼休みは1時間。時間になったら誰よりも早くおにぎりを2つ食べ、残りの時間は全て絵を描くことに費やしてきた。何かを真似て描くことすらままならなかった4月の自分(絵が描けないのに何故漫画家になろうと思ったのかは僕にも分からない)と比べてどうだろうか。絶対に今のほうが上手い。そして昨日より今日のほうが少し上手い。

何故か芽生えた、もはや神の啓示とかそういう類の思いつきに執着し、デッサンをし続けた。どこから生まれた熱意なのか…。

「うちの雑誌は年齢層高めだからね…笑」半笑いの上司のこのセリフを聞いた瞬間から意気消沈という感じで、ここに長くは居られないと思った。自虐的に、それでいて少しそれを面白がっている業界人。この世で一番嫌いなのがそういうヤツだ。「君が新しい風を吹かせてくれ」という事で入社し、初日の新人研修でこれだ。僕になんて言わせたいんだ?「それを変えに来たんですよ!」とでも言えばよかったのだろうか?これだけは言えるが、変わる気がない人は変わらない。言い換えると満足している人には何を言っても意味がない。

そろそろ本題のタイトルの「下を見るべきではない理由」について触れる。

最近気がついた。下を見るのは最初のスタートダッシュを決める瞬間だけでいい。今いる場所より上に行きたい。そう強く願うための助走の前の予備動作。走り出したら、登り始めたら、もう下は見ない。

絵を描き始めた最初の頃はただひたすら内に内にと、人に見せるわけでもなく描いていた。途中で少し物足りなくなって人に見せるようになった。そしてついに漫画を描くようになり、他の人の漫画も熱心に読むようになった。

そこで出会う自分より遥か前を走る人たち。

たまに下を見て安心したくなる気持ちが芽生えるけど、現状維持とか今のままで満足する大人の姿を見てこの道を選んだことを思い出す。僕は誰とも競いたくない。競争は疲れる。だからこそ見晴らしの良い景色が広がるまでは走り続けるしか無い。

ここでこうやって日記を書いているのも、ほんの少し前に進んだときに出会った人との繋がりのおかげだ。もし何も行動していなかったらこういう機会には恵まれなかったと思う。

目的を見失いそうになったら下を見るんじゃなくて、自分の少し前にやっていたことを思い出すようにしている。今の僕なら基礎的なデッサンについて。あの執念を思い出すだけで少し前に進める気がする。

僕が一番好きな言葉「憧れで始めて殺意で続けろ」これをとにかく真ん中に置いて僕は頑張る。

今日は夜マックのダブルチーズバーガーを食べた。デカすぎてほぼ丼でご飯食べてる感覚だった。

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