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2024年4月26日

神山さんの日記

今日はなんとなく憂鬱な気分になるようなきっかけが多かったように思う。こころのどこかにそっとしまっているものを、失くしていないか確認するタイミングだったのかもしれない。京都は曇り、金曜日だからか大学はいつもよりか些か静かだった。イヤフォンの片耳を失くして片側でしか音楽を聞けていなかったんだけど、新しいのが届いたのでやっと両耳で久しぶりに聴いていた。イヤフォンはいい。顎と後頭部を結んだちょうど真ん中あたりから、湧き出るように音が自分から発生しているあの感覚がだいすきだ。でも、体内に直接音楽を入れるというのは、より自分のものになりやすく、自分の体験とも重なりやすい。いのちに関する楽曲を続けて聴いてしまったせいで、いろんな過去の痛ましい出来事がこころに湧いてきてしまった。こういった体験は制作にはプラスになりうるが、メンタルにはひどくマイナスになる場合の方が多い。弊害がデカすぎるが、絵が描けないよりはずっとマシなんだと思っている。音楽を聴くということが自分にとって、また自分の制作にとって大事なことは理解していたが、なぜ大事なのか、をこういう風に噛み砕いてみるのは初めてだった。また一つ自分に対しての理解が深まって嬉しい。

銭湯に行った後、久しぶりにコンビニの前でゆったりアイスなんか食べた。絶望を経験した好きなアーティストが帰ってきた。目の前に紐をぶら下げて、ぼーっと眺めたあの日の私を追憶する。夜、12階のべランダの塀に座っていた青年の姿を空想する。あの日死んだ僕たちの、屍を踏み越えて、今の、わたしたちが、ここに生きていることを実感する。今日はそんな日。

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