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2026年1月30日

【運営の日記】スキップとローファーとメタ認知

『スキップとローファー』を五巻まで読む。

めーっちゃ良い。美津未ちゃんって良いやつすぎる。

ただ、読みながら思ったのは、多分読者の多くは美津未ちゃんに共感するのではなく、彼女を取り巻く友人たちに自分を重ねるのだろうなということ。あまりにも純粋な人を見て嫉妬をしたり(聡介)、ちょっと意地悪をしてみたくなったり(ミカ)。一対一の人間関係にメタ認知を働かせて自分を卑下してしまうのは、とてもわかる。美津未ちゃんの素直さは自分のネガティブな部分を映し出す鏡のようで、これはこれで結構危うい。


御多分に洩れず、僕も美津未ちゃんに憧れてしまう。美津未ちゃんみたいな「良いやつ」になりたいと思う。でも、この「良いやつ」って一体なんなのだろう? なにが美津未ちゃんを「良いやつ」だと感じさせるのだろう? どうやったら僕は美津未ちゃんみたいになれるのだろう?

最寄駅に着いて、読書を中断しなければならなくなると、ふとそんな問いが浮かんでくる。そのことをぐるぐると考えながら家路に着く。

パッと言葉として浮かんだのは「感情と感情表現の距離が近い」ということ。まあざっくりと言えば、楽しいときに楽しい表情を浮かべられる人に魅力を感じるということだと思う。逆を言えば、このシチュエーションで楽しい顔をするのは違うかな……と妙なメタ認知を働かせてしまう人はあまり「良いやつ」だとは思わないのかもしれない。しかしまあ、最初にややこしい表現が浮かんでしまうのは僕の悪癖だなあ。

閑話休題。

僕は常々、現代は「戦略」の時代だと思っている。つまり、先んじて未来を予測し、その通りに進めることがカッコよいとされる風潮のことだ。これは単なる憶測だけれど、年々「軍師」的なものの人気は高まっているような気がしている。

それは、僕が「良いやつ」の条件だと考える「感情と感情表現の距離が近い」の正反対に位置するものだとも思う。感情を切り離してメタ視点から状況を俯瞰し、自分を含めた各種の登場人物を駒として扱うのが戦略的で軍師的な振る舞いだからだ。

前者はダメで後者こそ人間の本質なのだ、みたいなことが言いたいわけではない。美津未ちゃんだって、人間関係において「こんなこと言ったら嫌がられるかな」と考えたりする。それは十二分にメタ認知を働かせた思考であり、戦略的な営みだろう。

また、冷静沈着な軍師に惹かれるのも、その鋭い頭の働きだけが理由ではなかったりもする。むしろ、「かつて家族が殺された」みたいな戦略的にならざるを得なかった原体験にグッとくることが多い。

めちゃくちゃ素朴っぽい女子高生がが拙くも戦略的に振る舞っていたり、頭キレキレの弁護士が家で猫を愛でていたり。まあギャップって良いよね、という単純な結論に近づいているが、そのギャップとは、繰り返しになるけれども、「感情と感情表現の距離」の大小によって規定されるものなのではないか。

あと少し考えたいところだけれど、ここらでタイムアップ。

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