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2024年4月29日

犬のまさをさんの日記

昭和の日。祝日。 だからと言って早起きできるわけでもなかった。ただ今日は月曜日で、生ごみを出さねばならない。その義務感だけでどうにか8時前に体を起こす。夜中のうちに出してしまわないのは、ささやかな矜持だ。

今日こそは、電車に乗って、遠出するんだ。 と思いながら二度寝。10時過ぎにバネのように起き上がる。ジャム付き食パンを胃に押し込んで家を出た。

家から上野までは案外遠い。東京はどこでも電車ですぐ行けると思っていたが、住んでみるとそうでもない。車がないから線路の通りにしか進めない。直線で5キロのところを道のりで10キロかけている、なんてザラにありそうだ。

上野の公園口。空気は白っぽくて、見渡す限り家族連れ。今、一人でこの公園にいるのは全体の3割にも満たないだろう。計算してみようか、こういうの何て言うんだっけ? そう、フェルミ推定とかなんとか。 余計なことを考えているのはやっぱり、祝日の上野に一人ぼっちで居ることが小っ恥ずかしいからかもしれない。常より早歩きで西洋美術館を通り過ぎる。 目指すは、国立科学博物館。

事前に電子チケットを買っておいたので、スムーズに入場。特別展はちょっと高いなと思って控えた。もちろん払う価値がないと思ったのではなく、私が金欠なだけ。大哺乳類展、観たかった。

科博には初めて来る。大学生の頃はキャンパスメンバーズで常設展が無料だったのに、なぜか足が向かなかった。愚かもの。

剥製がたくさんあることは知っていたから、剥製剥製、ハチ公どこどこと館内をさまよう。どこからともなくハヤシライスのいい匂いが漂っていた。

しかし、広い。広くて、そしてパン生地みたいにフニャフニャのがきん子ばっかり! 油断すると膝でパン生地を吹っ飛ばしそうになる。 騒がしいといえば騒がしいが、どの子も展示に食い入っていて、むしろ親の方がおざなりにキャプションを音読していた。 子どもにキャプションなんか読み上げてやる必要はないと思う。彼らはちゃんと観て感じとっている。キャプションは、観るだけじゃ感じられなくなった大人のためにあるのだ。

いよいよ地球館、大型陸上生物の剥製がひしめくフロアに。磨かれたガラスの向こうで、鹿や熊、虎たちが勇壮に佇んでいた。開かれた口から覗く牙は今にもこちらの頭を齧らんばかり。 すると、そばにいた少女が叫んだ。 「これ、みんな死んでるの!?」

彼女のお父さんが「そうだよ、剥製だもん」と笑う。つられて私もマスクの下で破顔した。 まぁ初めて見るならもっともなリアクションだ。子どもにとって生き物は生きているか死んでいるかで、「生きているように死んでいる」状態なんて。

にわかに、心が宇宙的なるところに飛んでいく。 なんだ、この奇妙な感覚は。 そうだ、これは『崖の上のポニョ』で、幼稚園と老人ホームが並んで建っているのを見たときと同じだ。

今この博物館は、ともすると東京いち子どもが集まっている空間。でも並んでいるのは死んだ生き物ばかり。かたや、ちょっと行った動物園では獣臭い生き物がうじゃうじゃ。 上野公園、生死のサラダボウルみたい。

けれどまっさらな子どもたちは、死体の陳列にも好奇心を刺激され、ひょっとしたら科学の道を歩み始めたりして。

おお、私のスカートの裾を揺らして走り回る、がきん子ども。 学べよ学べ。私が必死に税金を納めてやるからな。

でもこんな感慨はハチ公の剥製を見つけて写真を撮りまくっている間に忘れていて、今しがた日記を書こうとしてかなり肥大気味に思い出したのだった。

売店で売ってるハチ公ソックス可愛すぎ! マスコットも買えばよかったなぁ。

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