全ての物事には始まりがあり、終わりがあり、つまり、5月1日、おれの5月は無事に始まった。友人が家に泊まっている。超一流企業に勤める彼は、有給をとって10連休らしい。
彼は読書家である。すさまじいペースで本を読み、学び、それについて論じる。彼の脳内には膨大な思想が詰め込まれていて、そのすべてが実によく反芻されているように見える。日中、彼と書店に行ったが、おれが手に取るすべての本について彼は知っていた。
彼は強靭な肉体を有している。我が家に来る前日にはそれなりの高度の登山をしていたし、今日は早朝に着いたし、日付が変わってからもついさっきまでくだを巻いていた。
彼は実直な仕事人でもある。もちろん彼の仕事を直接見たことはないから推測に過ぎないのだが、最近の購買報告を聞くにそうである。少なくともマッカラン12年を手土産ににしてきたのは確かである。
また彼は謙虚である。彼曰く、自分は努力ができないらしい。自分を超える成績を苦しい顔せず計上する周囲を見ていると、自分の努力は彼らの前提以下であると感じる、らしい。
しかしまた彼は思慮深い。自分の何倍もの知力、体力を持つ彼らにも、彼ら自身の苦悩が同じくあるはずだということが分かっている。それが我々の人生から絶えず離れないことが分かっている。そしてたとえそうであろうとも我々は上昇を志向してしまうことを分かっている。だからこそ彼は旅をする。旅をすることでしか身につかない力があるから。
彼は明日北海道に向かうらしい。疲労なんてものは微塵も感じさせない口調だった。それぞれの苦悩、おれはこのあと、彼の出発時刻までに起きられるかどうか。
5月は無事に始まった。けれど終わりはどうだろう。何事もなく終わり、そして6月はやってくるのだろうか。そうあれと願う。今日の日記終わり。
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