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2024年5月9日

えぬさんの日記

(日記はもっぱら手書き派だ。何故かタイピングでは書けない。この日記も手書きのものを後から打ち込んだ。)

朝、目が覚めると、そこは見慣れない天井だった。一瞬戸惑ったが、すぐに思い出した。

「そうだ今日から新居で一人暮らしするんだった」

24年間、実家でヌクヌクと暮らしてきた私であるが、祖父母が住んでいた築50年ほどの一軒家を改装し、 24歳を機に一人暮らしを始めることにした。(そう、今日5/9は私の誕生日でもある)

祖父母が韓国・済州島の人間で戦中に日本に渡ってきた在日朝鮮人だという事実は22歳のとき初めて知らされた。改装の際、押入れを漁っていると韓国語辞典、在日朝鮮人会会報、法事用のステンレス食器…..私のルーツにまつわる品々がたくさん発掘されて嬉しかった。

気分が落ち込んでいるときふと「何故、人は自ら死んではならないのか?生きねばならぬのか?」と考える。「まあ、ヒトって案外図太い生き物だから死にたくても死ねねぇんだよな!生きるしかねぇ⭐︎」くらいに軽くやり過ごしている。希死念慮があるとか、別にそんなんじゃないけど、私は普段から生への執着が薄い。

だが祖父母の家に住むというのはなかなかにエモい。改装・引っ越しの忙しさにかまけて感傷に浸る暇もなかったが、今朝は「祖父母の家×誕生日」の相乗効果で私が死んではならない・死ねない理由をはっきりと自覚した。「私は祖先が数々の苦悩を乗り越え、繋いできた命のバトンを受け取った生命体にすぎない。自分だけの意思でここに存在しているわけではない。自身で生死を決定しようだなんて傲慢だ。運命に身を任せよ。」

幼い頃読んだ『いのちのまつり ヌチヌグスージ』(https://www.ehonnavi.net/sp/sp_ehon00.asp?no=6659&spf=1)という絵本を思い出した。十数年越しに、あの絵本の意味を理解した。幼少期、たくさんの絵本を与えてくれた両親ありがとう。という絵本を思い出した。十数年越しに、あの絵本の意味を理解した。幼少期、たくさんの絵本を与えてくれた両親ありがとう。)

何かをもらう誕生日もいいが、何かを与える誕生日にしたくて、両親の好きなパン屋・神宮丸太町bakery ukiさんで父にはクロックムッシュ、母にはザクザクを買って心ばかりの感謝を届けた。ついでに自分にもベーコンエピを買ってあげた。

腹ごしらえをしたところで10時間ほどバリバリ働き、あの家に帰ってまた眠りについた。

年齢はただの数字。多感さを忘れることなく、幾つになっても創造と破壊を繰り返して生きていきたい。そして、そのそばには学問を添えたい。よく考え、よく笑い、よく働き、よく食べる。私の日常は続く。

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