目覚めてすぐに、ここはどこだろうと思った。天井の模様が見慣れない形をしていたから。ほどなくして、いま自分が世に言う「実家」に帰っていることを思い出した(この言い回し、いまだにぴんと来ない。親が住んでいるというだけで「実の家」ってどういうことだろう)。
起き上がって、猫にあいさつをして、水を飲む。洗濯機はすでに回してあるようだった。馴染みのない洗剤の匂いを嗅ぎながらベランダに出ると、ピンチハンガーが新調されていることに気がついた。私は洗濯物を取り込むときハンガーごと取り込んでしまうけれど、母は洗濯物だけ取り込んで、ハンガーはそのままにする。だから、日光でプラスチックがすごく早く劣化する。2、3年前に買ったはずの先代は早くもお釈迦となったらしい。干しながら、私がこの新しいピンチハンガーにタオルを干す機会はこれから何回あるだろうと予測した。5回。まあ、そんなものだろう。
洗濯カゴの中を空にして、室内に戻り、朝食(昼食?)の用意をする。ケトルのお湯が湧くまでの時間が思っていたよりずっと短くて、他の作業との段取りが合わない。せっかく淹れた紅茶が冷めてしまうのも嫌で、まだかなり半熟の目玉焼きを仕方なくフライパンから上げた。
色々なことが、どうもうまく噛み合わない。この家にいると、正方形に切れなかった折り紙で鶴を折っているみたいな感覚がする。流れ出た卵の黄身をパンの耳でぬぐいながら、『ジャンヌ・ディエルマン』のことを思い出す。自分の部屋が恋しくなる。こんなにも疎外ばかり感じる場所が「実の家」だなんて、やっぱり変だな、と思いながら、身支度をして、家を出た。日傘を忘れてきたせいで、5月も下旬の強い日差しに目が痛んだ。
実家(便宜上、こう呼ぼう)に戻ってきた目的だったいくつかの用事を済ませてから、駅前の書店にあいさつをして、本を一冊買い、電車に乗ってアルバイト先に向かう。今日のバイトはそこまで忙しくならないといいな、と考えながら、京都に向かう電車の揺れに身を任せていると、自分が少しずついつもの「日常」に戻されていくような、そんな気がしてきた。車窓から見える景色が以前とほとんど変わらないことに、とても安心した。
バイトは、めちゃくちゃ忙しかった。
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