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2024年6月16日

ゆきさんの日記

日記は、自分の弱いところを晒すことが出来る唯一の場所なので、敢えて取り繕わずに、ありのままに、書いてみる。

中学時代からの、数える程もいない、古い友人と会った。会うのはもう、三年ぶりだった。

久しぶりに会った友人は、見た目は派手に変わっていて(男の子のように短かった髪は赤髪ロングに、iQOS片手に地雷系のファッション&メイクとかなり奇抜だった笑)、中学の頃の面影は全くないのに、中身は驚くほど変わっていなかった。

いい意味でも悪い意味でも、中学時代から時が止まっているようで。きっと友人から見た私も、同じだと思う。

この友人とはもうかれこれ10年ぐらい、共依存のような状態が続いている。中学校の吹奏楽部で出会って、多感な時期ゆえにお互いを傷つけあったり、ライバルとして切磋琢磨するうちに、唯一無二の関係となった。

しかし何より、ここまで関係性が続いているのは、自分たちがパパゲーノだったからである。

少し暗い話になってしまうけれど、心に希死念慮を飼っている人間がこの世にはどのぐらいいるのだろう?

私たちはちょうど同じぐらいの期間、希死念慮と付き合っていて(きっかけはあったにしろ、自殺企図とは違って今は私たちの人間を表す特性のひとつでしかないので、ご心配なく!!)、それに飲み込まれそうになった時、お互いに支え合って生きてきた。そんなふうに言ったら聞こえはいいけれど、一方のメンタルの調子が悪い時、一方は否応なく深海に引きずり込まれ、ずぶずぶと希死念慮に溺れて共倒れになることの方が圧倒的に多く、コミュニケーションとして私たちの関係が健全では無いことは自明である。

そんなことは分かっているけれど、今更この友人以外にこちら側の人間と出会う方が困難である。

京都駅の近くにある、このあたりでは珍しく観光客より地元の人が多く訪れるような、昔ながらの喫茶店でモーニングを食べた。2人ともコーヒーを好むようになっていた。

彼女と過ごした中学時代と変わったもの、変わらないもの。味覚、生活、ピアスの穴の数、親との関係。笑い方、LINEの頻度、認知の歪み、不眠。

特に積もり積もった話をする訳でもなく、他愛もない話をして、コーヒーが無くなったところで淡白に解散した。また死にたくなったら電話しようね。

私は音楽を学ぶ学生であるため、その後リハーサルの為に大学へ登校。リハーサルは2時間ほどで終わったけれど、その後学校が閉まるまで練習していた。別段言及するようなことは何も無い。いつも通り。暗すぎる日記で、ごめんなさい。

実を言えば、ここのところ少しメンタルの調子が悪い。一人暮らしが長いのに過去一荒れたセルフネグレクト気味の部屋を、直視しないように、帰ってからも譜面ばかり見ている。

自傷行為そのもののような人生が、「音楽家になりたい」という夢の実現によって終着するのかどうかは、私には分からない。今私が苦しんでいるのはかつて死ななかった私のせいであって、生きたいのか死にたいのか、それも全部甘えだとか考えすぎだとか厨二病だとか、自分が幸せか不幸せか、幸せになりたいのか不幸せになりたいのか、認知の歪みを解く気力もない私では、もう何も分からない、とりあえず全部投げ出して、ただ私は音楽が好きで、大好きで、それだけが信じられる感情だから、音楽に縋っている、その過程で死んだら、それでいいと思う。

今日も眠れないので、そんなことを考えていた。

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