最近僕の家に居候している同僚と話している中で、ふと「駅の北口は栄えていて」と口走ってしまう。
ただよく考えてみると、今僕が暮らしている駅には東口と西口しかない。これまでに暮らしてきた街の記憶を引き摺って、栄えている方を北口と捉える習性ができているらしい。
駅の北口を抜けると、居酒屋やパチンコ屋が並ぶガヤガヤとした街並みが広がっている。日高屋やてんやがあるのも北口だ。赤い顔をしたサラリーマンが大きな声を張り上げ、狭い道を横一列となって歩く。
その一方で、南口には緑の映える静かな公園や、古い集合住宅が並んでいる。酔った人間もちらほら見かけるが、群れた人の騒がしさはない。俯き加減にひとりで歩いていたり、秘密のカップルのごとくベンチで静かに手を繋いでいる程度だ。
駅なるものは、単に電車の乗降場でなく、繁華街と住宅街を分ける一種の仕切りとして機能している。そしてその繁華街は北口で、住宅街は南口なのだ。そういった印象がしつこく染み付いているせいで、新しい街に暮らしてみても騒がしい方を北口、静かな方を南口と錯覚してしまうらしい。
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