子供のころ,香港でサトウキビを圧搾するのを見たことがある。大人の背丈ほどに長く瑞々しいサトウキビを水車様の器具に押し込む。それで取っ手を力任せに回転させると,サトウキビはひん曲げられてこれでもかと捻り潰される。しばらくすると反対側から白濁の液体がじんわりと出てくる。砂糖の製法というのはなるほど暴力的だと,子供心に感動した記憶がある。
今日の朝は遅かった。10時過ぎにのっそりと起きだし、洗濯物やらなんやらを片付けて11時ごろようやく大学に来た。院生部屋の人間たちに前日買ってきた東京土産を配ったら存外喜ばれた。溜まったメールを返し、あまり面白くない雑務をしているうちに昼になった。
昼は恋人と近所のカフェに行った。13時過ぎから友人とのゼミがあったので,それに間に合うように少し急いだ。45分くらいしか時間がなくて申し訳ないと伝え、定食に箸をつける。
大学のごく近くのカフェのはずなのに、店の看板には知らない名前が書いてあった。4年以上住んでいるのに、大学周辺にすら知らない店がわんさかある。まだ掘り出せていない面白い出会いが、多分もっとある。4年という時間スケールは、きっとこの巨大な町には短すぎる…………。
というところまで考えて、いやいや、と思い直す。知らない何かとの新しい出会いにリソースを割いてこなかったのは、永久にこの町にいられると錯覚していたから、というのが正確だと思う。いつでもできることは、いつまで経ってもやらない。終わりが近づいてみると、急にやり残したことが気になってくる。
というのも、実は、留学開始まであと5週間を切っている。来月末には米国に渡航してしばらく帰ってこない。4年近く前から計画していたことでまだまだ先のことだと思っていたら、いつの間にかすぐそこまで来ていた。このごろは、毎朝日付と渡米までの残り日数を確認して、たまげるところから一日が始まっている気がする。
といっても、残り少ない京都生活を有効活用せよという外圧のおかげで、ここ数か月の私生活は結構充実させることができている。日本にいられる期間も限られているからと思って、しばらく会ってなかった友達に連絡してみたり、ずっと行きたかったところに旅行してみたり、地元のイベントに出てみたり。
邦画で「余命宣告もの」の脚本がいつでも人気なのは、それゆえなのだろう。一般に、人間の生活はタイムリミットが設定されると充実する。圧縮されて初めてサトウキビから甘い砂糖が得られるのと同様、制限時間の外圧がかかって初めて湧き出るモチベーションがある。
そうこうしているうちに時間が来た。外圧で圧搾されたおかげで、充実した時間が過ごせた。そうして店を出て別れを告げ、いつもの研究室へ向かった。
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