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2024年6月23日

ペンギンさんの日記

僕の家の前には、よくゴミが漂着するんです。 お菓子の袋とか、タバコのプラ包装とか、そういう木っ端のようなゴミが、いつもいつも漂着する。

最初のうちは、誰かがウチの前でポイ捨てしとんのか!?と思いました。前の道は人通りも多い方だし。しかしどうやら違うようで。

風のいたずらなんです。洗濯機の糸取りみたいに、この町の気流の関係で、ちょうど我が家の前が、風に乗って飛んできたゴミの終点になっている。 他の場所でポイ捨てされたり、屋外のゴミ袋から溢れたり、ついうっかり手から零れ落ちてしまったゴミが、全部、全部我が家に流れ着いている。 そして、我が家に流れ着いたら最後、そこからは一歩も動かない。テコでも動かない。風に乗って庭の中を永遠に転がりまわっている。 魚を捕まえる罠のように、天然の一方通行が形成されているんです。

毎日、毎日、毎日、何かしらのゴミが流れ着きます。ガムの包み紙、発泡スチロール、UberEatsの伝票、キットカットの袋、肉まんの下敷き部分、ちょっとした仕出し弁当に付属してそうな小さなおしぼり、ポケモンカードの要らないやつ。「ゴミは分別してください!」という自治会の張り紙がそのまま漂着したこともありました。風刺画みたいだ。 このままでは庭が名もなきゴミで埋め尽くされてしまうので、拾います。一つひとつを拾い上げて、よく眺めると色んな発見があります。 UberEatsでファミマのアイスだけ頼んでいる人がいる…風邪でもひいてたのかな…とか、やっぱズバットは今も昔も要らないカードなんだなあ…とか、どのゴミにも小さなストーリーがある。取るに足らない小さなストーリー。風に乗って飛ばされるようなゴミなので、どれも大したものではない。でもストーリーがある。 流れ着いたゴミを拾って、検めて、ストーリーを想像しながら有料の可燃ゴミ袋に詰めるのが、僕の日課のひとつになっています。誰のかすらわからないゴミを、お金を払って捨てている。

道を歩いていて、路傍にゴミが転がっているのなんて当たり前ですよね。悲しい話ですが。 このゴミ、どこから来たのかなあ。どこへ向かうのかなあ。どこかで誰かが拾ってくれてるのかなあ。他人事のようにいつも思っていました。 違いました。この家だったんです。この家のように、どこかにゴミが滞留して、それを僕のような人間が拾っていたんです。誰かではなく、僕たちだったんです。 不思議と怒りはわきません。おそらく僕だって、道端にゴミを捨ててしまったことがきっとあるでしょう。ポケットからガムの包み紙が滑り落ちたことが絶対あるでしょう。それが、まわりまわって僕の家に漂着しただけなんです。だから、僕が拾って然るべきなんです。

日曜日。 テレビをザッピングしても、どれも自分と関係のないことばかりに思えてしまう。注目の映画ランキングって言われてもなあ。東京の激安グルメって言われてもなあ。 家の外に出ると案の定、今日は使い捨てコンタクトレンズの容器が流れ着いていました。 僕はコンタクトレンズしたことないけど、でもこれは僕のゴミなんです。因果応報なんです。だから僕が拾って、僕が捨てる。 コンタクトって目の中に何か入れるんだから絶対痛いのに、ゴミとして流れ着くくらい世の中に普及してるんですね。いつの間にか。みんな、痛みに耐えて生きている。 ゴミを通じて勝手に誰かの何かを感じるリアリティは、テレビとは比べ物にならない。世界は全部つながっていることがわかる。「自分」の領域がものすごく広がったような感覚になります。 何を言ってるのかよくわからないと思いますが、僕は流れ着くゴミで世界とつながる感覚を味わっているということです。

プロフィール

ペンギン

ペンギン

WEBメディア・オモコロにて執筆中のライター。文字と言葉が好き。エゴサーチをすると可愛らしいペンギンの画像であふれてしまい、自身の記事に対する感想コメントを見つけることが難しい。

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