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2024年9月29日

【運営の日記】黒沢清『Cloud』を見る

渋谷へ。黒沢清の新作『Cloud』を見にいく。

転売屋を演じる菅田将暉が、ネット上で拡大する悪意に狙われていく。序盤は静かなホラーとして恐怖が増幅する過程を描きながら、(背後に映る窓の片隅に人がいる感じ)、後半は銃撃戦というシンプルなアクションを見せる。

お話自体は2000年代初頭のサイコスリラーといった感じだが、面白いのは「ちゃんと感情を持った人間」と「感情なんてものを取り払った行動だけの人間」が混じり合っている点だ。銃撃戦の最中、「怖い」と叫び散らかして逃げ腰になるキャラクターの傍に、まるでシューティングゲームをプレイしているように純粋なアクションとして銃を発砲するキャラクターもいる。だから人が殺された際に、見ている僕たちとしても悲しんでいいのか笑っていいのか分からない。

映画って大別すると「物語を語る」のが至上命題のものと、「映像を見せる」のが主に据えられたものがある。前者で人が死んだら悲しい気持ちになるだろうが、たとえば西部劇で人を薙ぎ倒していくシーンを見て悲しいと思うことはないだろう。長い闘病の結果命を落とす恋人に涙する観客はいれど、ゴダールの映画で銃殺された人間に感情移入する観客なんていない。それは感情に重点を置くか、アクションに重点を置くかという違いに起因するものだ。

だから普通、それらは混じり合わせてはいけないものなはずだ。「かっこよく殺されたが悲しい」なんて複雑な感情をもたらすことができるほど映画なんてものはうまくできていない。

だからこそこの映画はその混淆——というより混じり合わずに一緒の映画に詰め込まれたような感じ——が奇妙な鑑賞体験を与えてくれた。ただそれは止揚されてエクスタシーを産むようなものではなく、ある種の「噛み合わなさ」としてごろっと見せてくれた感じ。人間の狂気を描くにはチープすぎるし、アクションの面白さを見せるには少し物足りない。ただその奇妙さが妙な読後感(のようなもの)を産んだのも間違いない。

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