夕方、缶コーヒーを買いに自動販売機のもとに向かう。最近新しく設置された自動販売機で、以前よりも商品が充実している。コーヒーの種類も複数あって、さすがオフィスビルだと思う。
ちょっとだけ吟味して、一番高いタリーズの青い缶を選ぶ。キリマンジャロ。正直缶コーヒーの中で味の優劣をつけことはできないのだが、結構疲れてきているし、贅沢をしたという気分は労働意欲を倍化させてくれるはずだ。それに所詮140円である。喫茶店に行けばコーヒー1杯で500円くらいはするのだから、これくらいの消費は認めて然るべきだ。
小銭を入れて、ボタンを押す。ドン、と商品が落ちてくる音。
しかし取り出し口を見てみると、ミネラルウォーターのevianが顔を出している。誰かが取り忘れたのかしら。そういえば最近、ぐだぐだとSNSを徘徊していると「自動販売機の取り忘れドリンクには気をつけろ」という趣旨の記事を読んだことを思い出した。毒入りドリンクが放置されていた事案もあったのだという。
まあここはオフィスビルだし心配する必要もないだろうが、しかしevianを欲しているわけでもないので、ひとまずはそのままにしておこうと思い、取り出し口に手を突っ込みevianを外に避ける。
その奥に缶コーヒーがない。
僕は飲み物が落ちた音を聞いた。音の発生源にあるのはevian。つまりここから導き出される結論は「自動販売機はevianを排出した」ということ。
ではその原因は? 僕はちゃんと缶コーヒーのボタンを押したはずだ。でも本当に? 吟味の過程で誤解が誤解を連鎖させ、知らず知らずのうちにevianを買うためのボタンを押してしまったのではないか?
そもそも僕はこういう記憶にてんで自信がない。つい先日だって、マグカップをどこに置いたかわからなくなりオフィスを徘徊したのである。その僕が、確かに缶コーヒーのボタンを押したと断言できるだろうか。
この問いに対しては、結論を与えなければならない。「缶コーヒーを買うつもりだったのにうっかりevianを買っちゃったんだよ〜」と安易にうっかり話の一つに付け加えることは断固として慎まなければならない。
もう一度、缶コーヒーを買う。財布からなけなしのお金を取り出し、小銭入れに投入。慎重にキリマンジャロ味のコーヒーの下にあるボタンに人差し指を重ねる。
張り詰めた空気。ここはさながらオリンピックの会場である。笛の音が聞こえた瞬間に勝負が決するように、ボタンを押した瞬間に僕の戦いは結末を迎える。静かなロビーの中、心臓の鼓動が響く。よし。意を決して、小さく震える手でボタンを押す。
ドン。
evian。
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