朝10:30に目が覚めた。その瞬間「悲しい」と思った。「不安だ」とも思った。 起きた瞬間からこういう感じになるのは久しぶりだ。 寛解に向かっているはずの統合失調症が、ここにきて勢力を上げている。 11時から母と出かける約束をしていたのに不調を言い訳にドタキャンした。 自分は駄目な人間だと思いながら二度寝した。
体調が良いと、惰眠を貪るにしろ本を読むにしろ散歩をするにしろYouTubeでショート動画をダラダラ観るにしろ、そこには幸福感が伴うから、同じことしても希死念慮と吐き気に苛まれる今日はただひたすらに早く終えてしまいたい。
焦燥感に苛まれ、スマホを開いたり閉じたりするのを繰り返している。 食欲も無いくせにミスタードーナツやマクドナルドやファミレスのアプリを開き、メニューを眺め、また吐き気が上がってきて閉じる。 したいことをするには一日はあまりに短いが、何もできない状態で天井を眺めるには一日はあまりに長い。
少し頑張って本を読もう思った。 読み途中の本。江國香織さんの「流しのしたの骨」 一章一章が完結していて短くて読みやすい。 この本は愛しさで溢れている。
登場人物の言動や当たり前が、私のそれととても遠くて、ふんわりとした疑問が次から次へと増えていき、それが平行四辺形のように少し遅れて次から次へとなんとなく納得していく。 どんでん返さないやさしいミステリーって感じだった。 2章読んで本を閉じる。
夕方、母に唐揚げを揚げるよう頼まれるが、油の匂い、リビングのテレビの音、ただ立って料理することが涙が出るほど辛くて、3つ揚げるだけでギブアップ。両手に皿を持って運ぶことすらできなかった。 込み上がった吐き気と苦しさに任せて自室で泣く。 あーあ、自殺してしまいたいって思うけど、こんな程度の希死念慮は何の力もないことを私はよく知っている。 そして、この症状が一時的で、良くなったり悪くなったりする波の一部分に過ぎないことも。 無職になって1年半、統失とわかって3年、この身体と精神を操縦するのも板についてきた。 明日も特に何も成し遂げられないだろうけど、ただ息を吸って吐いて生きるだけのことをするだろう。
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