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2024年12月30日

【運営の日記】相米慎二の『お引越し』をめぐって

お墓参りのため青山まで出向く。ついでに渋谷に寄って、何か映画を見ようと思う。

ちょうどいい時間に、相米慎二の『お引越し』が上映されるらしい。少しだけ喫茶店で時間を潰し、意気揚々とBunkamura ル・シネマに乗り込む。

信じられないくらいに素晴らしい映画だった。今年のベストを、この年末に更新してしまったような気がする。


大雑把に言ってしまえば、「父親が家を出て、母親の二人暮らしが始まった少女が、理解しがたい大人の勝手な振る舞いに傷つけられながらも懸命に生きていこうとする」物語である。

しかしこの映画が異常なまでに魅力的なのは、こうした要約では到底指摘しえない無数の境界線の上を、田畑智子演じるレンコが飛び越えては戻る様が、はっきりと映像として形象化されているからだ。そしてその越境と帰還が、事後的な編集によって捏造されたものではなく、ひとつのショットに収まっている画面を見るとき、本当に涙が出てしまった。

たとえば冒頭、昼休みに学校を抜け出したレンコが、父とその引越し荷物を載せた軽トラックに乗り込む場面。すでに走り出している車に飛び乗る運動が長回しで捉えられ、レンコは自らの生活圏内から、新しい父のアパートへと移行する。

また物語の中盤で、信頼できる同級生の少年に父が出て行ったことを告げるショット。廊下の片隅で「誰にも言わないで」と忠告した上で家族の状況と揺れる心を吐露したレンコが、画面の奥の廊下へと遠ざかっていく瞬間は、途方もない勇気とそれを振り絞ったあとのカラッとした爽やかさで満ち満ちている。

最終盤、レンコはタルコフスキーの『サクリファイス』をも彷彿とさせる世界の中で、ある種の象徴的な揺らぎを経験する。それが「生と死」なのかそれとも「子供と大人」なのかは判然としないが、家族旅行にはふさわしくない白装束で身を包んだレンコが、その活発だった目を濁らせていくのはあまりにも恐ろしい。

そういえば、この映画の中で、例外的に血生臭い暴力が振るわれる場面がある。それは風呂場に立て篭もったレンコの言葉に激情した母が、ガラス製の扉を素手で殴って破壊する瞬間なのだが、そのあまりにも暴力的な境界の乗り越えは、きわめて鋭い編集のもと表現されている。大人は暴力的・事後的に、揺らぎを破壊し、境界線を土足で踏み越えていく。

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