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2024年5月14日

一寸先は激務さんの日記

ちょうどここに投稿する日記の準備をしようと、会社貸与PCを閉じようとしたところだった。 時刻は22:00。上司からチャット。ピコーン!!(通知音のつもり)

「ちょっと今話せますか?」もうすでに不穏である。巷ではこういった類のものを死亡フラグと言うらしい。「申し訳ないんだけど、明日の朝9時までに、別の観点からこのシミュレーションもう一度まとめ直しといてくれない?」ここまでNOが言えない頼み事も稀である。だったらはじめから「やってくれ」と言ってほしい。オブラートの体をなしていない微かなやさしさに感じる恐怖。徹夜確定演出である。弊社の所属する業界は数カ月に1度、こういったよくわからない、そして避けられない徹夜が発生する。かくいう私ももう3年目となり、片手からはみ出す程度にはそういった経験を積んで(積ませていただいて?)いるが、それでも目の前にヤツが現れると未だに緊張が走る。その日も例外ではなかった。結局徹夜してなんとか成果物を作り切り、翌日のお客様との会議には間に合わせることができた。上司もお褒めの言葉をくださった。うれしかった(小並)。こんな形で日々飼いならされている私である。

閑話休題。ここまでウダウダ文句を書き並べているが、実は私はこういったシチュエーションがそこまで嫌いではない。なぜなら、こうした追い込まれて追い込まれて冷や汗が出るタイミングに、逆に「生」を実感できるからだ。

たまたまこの日は「生」を実感したのだが、逆に「死」を感じること、厳密にいえば「死を恐れる」瞬間が、ここ2,3か月非常に多い。元来私自身、これまで紆余曲折有りつつ当社比かなり幸福な人生を送ってきた実感があり、どちらかといえば先述とは真逆の「明日死んでも後悔ないかも」と思う派だった。しかし、最近は死が怖くて怖くてたまらない。何か考えが変わるきっかけでもあったかなと振り返ると、「やりたいこと」が以前に比べて非常に多いことが関わっているのかな、と思った。つまり、「まだ死ねない」のである。

年齢を基に考えるのならば、私の死への恐怖感は、SLAM DUNKの仙道彰がかの名台詞で今にも諭してきそうなほどに、杞憂に近いものかもしれない。ただ、私は死への恐怖(マズローの欲求段階説的な話ではなく、あくまでやり残したことがまだまだあることに起因するもの)に苛まれながら生きているこの瞬間が幸せで幸せでたまらない。逆説的に、自分の人生をさらに輝かせてくれる要素(=やりたいこと)に囲まれていることを実感できるからだ。人生で一番楽しいと思える日々が社会人になってから来るとは望外の喜びというほかない。これを読んでくださっている皆様には、私の人生に対する惚気を押し付けてしまい大変恐縮だが、これもまた日記の一要素ということでご容赦願いたい。

「死を思うことで生が輝く」というのは使い古された言説だが、話に聞くのと実際に自分自身で体感するのでは、抱く感情もまったく異なるものである。そういえば、この日記を私に回してくれた友人が大学時代に好んで使っていた文言がある。彼は別にその文言自体が好きなわけではなく、その文言をよく使う教授がかわいい(広義、まったく便利な言葉である)からという理由で彼の周囲でミーム的に使用されていたのだが、この日記を締めくくるにふさわしいものであるため、ありがたく使わせていただくこととする。

Memento mori.

プロフィール

一寸先は激務

一寸先は激務

東北の片田舎から東京に迷い込んで早2年。せっかく東京に出たので、将来は銭コア貯めて東京で牛を飼ったり銀座に山を買ったりすることが夢。

日記
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