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2024年6月25日

☁️さんの日記

今日は会社帰りに同期と飲みにいった。 梅田方面に歩いているとき、ふと放たれた 仲の良い同期の一言に息が止まった。

「こうやって私たち何十年もこの会社で働いて仕事終わりにはこうやって飲みにいくんだろうね〜」

しみじみと遠い目をして、満ちたりた表情の彼女を見る。周囲の友人がうんうんと頷いているのを見て、驚きが増す。かく言う私も、頭を殴られたような感覚が残っているままに何食わぬ顔でそうだね〜と軽く返す。 本当に、私にとってはあまりにも衝撃的なワンシーンで、今でも鮮明に覚えている。

この春から、私は大阪の中之島で働いている。事業内容はおもしろいし、待遇も悪くない。会社で関わる人は優しくて気のいい人ばかりだ。

でも、うまく言えないけれど、今の環境で今後何十年も過ごすなんて想像できない。どちらかというと、想像したくないの方が近いかもしれない。

社会に出て、今の会社に勤めて感じる。 同じ会社に長く勤めてしっかり資産形成して退職して悠々自適に暮らす、早めに結婚して子どもを産む、そういった絵に描いたような幸せをたくさんの人が志して生きている。そしてそうすることが一般的とされている事実がひどく息苦しい。友人の発言もそれが顕在化したものの一例だと感じだから、受け入れることができなかった。

今の環境では、自分の感覚の方が「異質」であると何度も再確認させられる。安定した未来、絵に描いたような幸せに向かって生きることを素直に許容できない自分。そんな自分にとんでもないコンプレックスを抱えているのではないかと思うこともある。

だけど激動の時代を過ごす今、いつ何が起こるかもわからない。何十年後のことを想像したとて生きているのかもわからない。なんなら40歳くらいで死んでも良いと思っている。それならば、遠い未来から逆算するのではなく、今をしっかり生ききりたい。

日記を書いていて思った。日記をつけることは、日常のあらゆることを意識すること、日々を大切にすること、1日をよく生きることに繋がる。というわけで、これからも継続して日記をつけていきたいなと思う。

少し話は変わるが、私は京都が好きだ。「当たり前」を守らなくても自分を保てることが理由の一つだと思う。京都という土地柄ゆえなのか、大学の風土ゆえなのか、私が京都で出会った人達のおかげなのかはわからない。けれどなんとなく自由で歪なこの街が好きだ。正しさからはみ出たって良い、自分がいたい自分で居ていいと思わせてくれるこの街が好きだ。

今日も1日よく生きたと思う。 明日もがんばろう。

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