日曜日、美容室で乳首を丸出しにするところだった。
髪の毛がライオンのたてがみのようにガオガオと伸びていた。自宅で妻に「そろそろ髪の毛でも切りに行こうかな」と言ってみる。妻は「あたしも言おうと思ってた」と言う。自分以外のだれかが「こいつ、髪の毛切ったほうがいいんじゃないか?」と思っているということは、相当ガオガオしているにちがいない。美容室に行こう。
お昼12時。自宅から徒歩3分のところにある美容室「KITTEKU?(仮名)」にむかう。私の自宅は札幌市内の中心街にあるのだが、立地柄おしゃれな美容室が戦国大名のように乱立している。
自宅の斜めむかいに美容室。その正面にも美容室。10メートルくらい歩くと雑居ビルの3階に美容室。雑居ビルの裏通りには古めかしい理髪店。100メートル×100メートルの1丁区画に美容室がパンパンに密集している。
そんな中で私が通う「KITTEKU?」は分業制をとっている。受付担当。カット担当。シャンプー担当。ドライヤー担当。みんな別の人である。「KITTEKU?」は妻が発見した美容室で「すぐ近くだし行ってみれば?」と言われ行ったのが1ヶ月以上前。だから今日が2回目。
担当の20代の男性美容師は金髪で、両腕にタトゥーが入っている。散髪中に話してみるとやけに文学に精通しているようで会話によどみがない。立て板に水、三回忌の説法坊主のごとくよくしゃべる。前回は「ドストエフスキー」と「江戸川乱歩」について聞いてもないのに教えてくれた。今回は「ヒエログリフ」と「ハリーポッターの呪文」の話をとうとうとされた。もちろん私から質問したわけではない。
「ぼく、ヒエログリフで自分の名前書けるんですよ」
「……え? マジですか?」
「ええ、マジで」
「だれかの口から『ヒエログリフ』って初めて聞きましたよ」
こんな会話をしたかと思ったら「ハリーポッターの呪文で1番好きなやつはなんですか?」と前後の文脈をすっ飛ばして聞かれた。私は困惑しながらも数少ない知識の中から「アロホモラ(鍵よ、開け)ですかね」と答える。
美容師さんは「メジャーどころですねぇ」と言うので、これでも精一杯マイナーだと思われる呪文を言ったし、ウィンガーディアム・レビオーサよりはマイナーじゃんかと思いながら申し訳程度に「どんな呪文が好きなんですか?」と聞き返してみる。
すると彼は待ってましたという表情で言う。
「ハリーとマルフォイが決闘するときに蛇が出るシーンがありますよね」
「ああ『秘密の部屋』の」
「そうそう。あそこでハリーがパーセルタング(蛇語)を話しちゃうじゃないですか」
「スリザリンの継承者じゃね? の伏線のシーンですかね」
「そうです、そうです。そのときにスネイプが蛇を燃やすために詠唱する呪文があって、それが……」
……はて、呪文の名前は忘れた。
髪の毛をあらかた切り終えると「ではシャンプーです」と美容師さんが言う。ふり返るとそこには意味不明の髪色の、毛先が紫に染まった金髪の20代女性が立っていて「ご案内します」と甲高い声で言う。アシスタントなのだろう。案内通りにシャンプー台にむかう。
「首をうしろに倒して力を抜いてください」と言われたので、言われるがまま脱力する。「ふつうのシャンプーと夏の終わりのシャンプー、どちらにしましょうか?」と言われたので、内心「えっ?」と思いつつも「そんなヒュルい変化球に私は動じませんよ」とばかりに「じゃあ、夏の終わりで」と好奇心を込めた声で頼んでみる。
目から鼻にかけて1枚の白い布がかけられる。髪の毛がお湯で濡れる。シャンプーが始まる。夏の終わりはどんな香りだろう。
ところがスタートしてすぐ、目の上にかかっている布がズレて下にさがっていくのが自分でわかった。このままズレていくと私のくりんとした大きな目があらわになり、女性と目が合ってしまいそうで落ち着かない。
シャンプーはゴシゴシと続く。そのあいだもどんどん布はズレていく。ゴシゴシ、ズル。ゴシ、ズル。ゴシ、ズ。今にも両目がボロンと出ちゃいそうだ。女性の手はきっと夏の終わりシャンプーで泡々だろうから布の位置を直せないのではないか。
……直したい。目があわらになってしまうのがたまらなく恥ずかしい。
さすがにもう耐えられないと思ったので「じ、自分で直しちゃいますね」と言って布の位置を両手であげ直そうとした。
女性は「あ、どぞ」と言うだけである。冷たいな。もうちょっと私の羞恥心と内面の葛藤を理解した声がけをしてほしいところ。
ゆっくりと布の位置を直しながら考える。
まるで「乳首」のようだ。目は物を見るための臓器・装置である。常に外にさらされているから人様に見られて恥ずかしいと思ったことは一度もない。なのに。この日、このタイミング、この場所。少しずつ乳首という恥部があらわになっていくような尻こそばゆさ。
そうか。時に目は乳首になることもあるのですね。
そう思っていると「ではシャンプーは終わりです。お席に戻りましょう」と言われた。シャンプーが終わった髪の毛からは緑色と赤色の混ざった香りがした。そろそろ夏が終わるなぁと思いながら帰った。
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