風邪をひいた 起きたら、とんでもないしゃがれ声になっていた 珍しくって、面白くって、調子に乗って喋っていたら ついにほとんど声がでなくなってしまった
家に一人でいる時間、 ネットで配信をして、見ず知らずの人との会話を楽しむのを常としているのだが、 声がでなくなれば、もう、それもできない
なんと言ったって今日はとにかく暇なのだ
とことん暇な日曜日、私はこの日一日のことを日記に書くことになっている
とっておきの休日を過ごして、 素敵な出来事を書きたいな、と前々から楽しみにしていたのに これでは、誰かと遊ぶのはまず無理そうだ
喫茶店に行っても、注文をするのすら難しそうだし、楽しい話をしてくれそうな友達に電話をすることもできない
やれやれ、まったく困ったものである 私の素敵な休日よ、さて、どうしよう
そうこうしているうちに、身体もだんだんとだるく、熱っぽくなってきて、いよいよ風邪っぴきという感じになってきた
私は散歩の達人で、一歩外へ出れば、 目の前のなんでもない景色を誰よりも面白がれる才能を持ち合わせているのだが、 もう出かける気力も残っておらず はたと途方に暮れる
仕方ない 今日は家に引きこもっていよう
それにしても、なんて散らかった部屋だろう
足元に落ちている紙を拾う
それは今年の春に、 東京での写真展に参加した時に、 私の撮った写真と、書いた文章を使って、 ギャラリーのオーナーがデザインして作ってくれたフリーペーパーだ
広げてみる そこにはこう書いてある
「私が撮りたいのは、どこにでもある風景だ 一歩外へ出て、少し歩いてみれば 誰もが出会うことができる そんな、なんでもない風景の中にある ささやかなきらめきだ
たとえば、 植物たちは、いつものびのびと 風に吹かれて 思いのままに命を広げている
行く手をはばむ垣根や柵を 優に乗り越えたり、 くぐったり、絡まったり、 自由に伸びる命はどこまでもしなやかだ
雨や光を目一杯に浴びて、空を仰ぐ姿は 生きていることの気持ちのよさを 絶えず、存分に味わっているように見える
その様子は、艶やかで色っぽく、 佇まいから滲み出る凛とした命の輝きに 私の心は鷲掴みにされる
当たり前だが、自然はどこまでも自然体だ
人間を含めた全ての生き物の命が、 こんなふうに健やかに伸びやかに、 命のままに輝けたなら、 それはどんなに喜ばしいことだろう、と常々思う
大きな争いやいさかいもなく、 当たり前のように平和だったかもしれない 太古の地球にも想いを馳せる
本来、人間だって自然の一部 寿命の限りは淡々と、 好きなように過ごせばいい 行き詰まって死ぬしかないことなど なんにもないはずだ
少なくない数の人たちが、 生きていたって と思い詰める世の中なんて、 全く本当にナンセンスだ
私は写真を通して、 「ほら、見て!満月だよ」とか 「あ、今、夏の匂いがしたね」と、 誰かにふと、語りかけたい
せっかくこんなに、 見飽きる気がしないくらい 美しい星に住んでいるのだから、 なんだかよくわからないことで、 死にたくなるまで怖がらなくてもいいんだよ、 と強く言いたいのだ
目の前の世界の美しさを満喫しながら、 風にそよぐ草花のように 無理のない自然な姿の自分自身で 生きられる命が増えるといい
写真というものには、それほどの力がある 私はそう信じている」
もっと若い頃、私はいつでも怒っていた この世界にも、この世界の人間たちにも、 そして、こんな世界で何食わぬ顔で生きる私自身にも、
怒りと憤りの刃が全身に満ちていて いつも不安定で、アンバランスで、 ちぐはぐな心身だった
あるいは、若さとはそういうものなのかもしれないが、 扱いきれない感情がいつも大きく渦巻いている感じがした
縄文人が見て、「なにそれ、へっんなのー」と、思うだろうことは、 あんまり気にしなくていい、適当に無視してしまえばいい というのが、私のモットーなのだが、
何万年という人の営みの歴史から見れば、 ついさっき、今しがた、 せいぜいここ100年くらいでできたような、 社会の常識とやらや、正義や、価値観、 あるいは個人の美意識を、
当たり前でしょ!と無理やり押し付けては、 誰かの生きる気力を削いでいくようなことがなくなるといいのに、 と、思ってきた
揃いの制服やリクルートスーツなんて、 はるか昔の古代人からすれば、 「はて、これは何に効くまじないなのかえ?」 といった感じなのではないだろうかと想像すると、本当に馬鹿馬鹿しくて、
兎にも角にも、 そんな、今のこの世の中で当たり前とされている、 ありとあらゆるものが私にはいつも死ぬほど窮屈で、 それを何とも思ってなさそうに押しつけてくる人たちに、 また苛立ち、 かと言って、これといって、なすすべも思いつかない自分にもまた苛立ち、 苛立ちオンパレードな10代20代だった
そんな頃からすると、なんとお気楽な今であろう
いつの頃からか、私はそんなに怒らなくなった
いや、怒りの感情はたぶん奥底には消えていない それはもはやアイデンティティのようなものだから、今でも胸の中の中にはいつもある気がする
ただ、私は写真を撮ったり、 絵を描いたりすることの楽しみを知って、 ささやかだけれど、自分の手を動かし、 つくることによって、 そこに伝えたい何かを込められそうな気がして、希望を見るようになった
年を重ねてずいぶんと健康になったと思う
そんなことをつらつらと考えていたら、 今度は咳が止まらなくなってきた 何が健康だ、という感じだ
早く風邪を治して、散歩に行きたい 今の私の目に映る世界は結構、美しい 夕暮れ時、秋の訪れを探しながら、写真を撮りながら、ゆっくりと歩くのが楽しみだ
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