転がり込ませてもらっている友達の家にヤクルトの営業のお兄さんが来た。定期販売の営業をしているらしくこの夏じゅうの外を歩き回ったのか、肌は真っ黒に焼けていて、妙に歯が白い。
いや、歯が白いというのは想像だったかもしれない。でもとにかく健康的な相貌のひとだった。居候なのですみませんお力になれないかもしれないですなどと言うと、元気に去っていった。お昼ご飯にカレーを食べていると、窓の外からお兄さんの声が聞こえてきたから、このあたりを巡回しているのだろう。
おばあちゃんとおじいちゃんの家にはヤクルトが定期販売されていることを思い出して、それを中高生のわたしがガブガブ飲んでいる。もう祖父母の家に徒歩で行ける距離に住んでいない。わたしは東京にある平和島という場所にある友だちのアパートに転がり込んでいる。
ヤクルト1000を飲んだことがない。うっすらとそのことがずっと気になっていた。のんびりしていたら全人類が飲んでいる状況になってしまっているのだ。ヤクルト1000をまだじつは見たことがなくて、どんなパッケージなのかもわからない。
最近はこういう事が多い。知らぬ間に置いていかれているようなことが。一人暮らしを始めてから八年が経ったが、それはつまりテレビを持たなくなって八年ということだ。会社をやめてからというもの、行きたい研究室を探して、英語の勉強をして、短歌をつくって、世界の新興産業の現状を伝えるメディアで記事を書くという生活をしている。これらが生活の九割五分を占めていて、テレビを持っていないことと相まって、かなり世間と隔絶されてきた感が強い。家族に仕事を辞めて海外の研究室に行くことを計画していると伝えると、もうよくわからなくなっていた。
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