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2026年1月22日

【運営の日記】本棚の本屋化

ぼーっと考えたことの備忘録。


昼休みに散歩をしながら「どんなことが好きなの?」と聞かれる。とはいえこれは僕の妄想が生んだ想定問答だ。なぜだか「他人に質問をされる」妄想をするのが癖になっており、手持ち無沙汰の最中はよく空想の相手に色々と聞かれて、ちょっと格好つけて回答してしまう。

「本屋をぶらぶらすることですかね」と頭の中で答えた。こんなラリーを人生でもう何回もやっている。ただ、そういえば最近気がついたことがあった。

本屋を散策するのと同じくらい、家の本棚を眺めるのが楽しい。ゆるくカテゴリ分けされた陳列を整理したり、長い間奥の方に隠れた本を前面にひっぱり出したり。そうやってガチャガチャと自分の本棚をいじるのが楽しくて、ついつい長い時間をかけてしまう。

本を買うのが趣味で、それに比して読むことはそこまで好きではないから、家にはどんどんと積読が溜まっていく。もう積んでいるというレベルではなくて、本棚の過半数を占めるくらいには読んでいない本がある。本棚は読んだことのない本の背表紙でひしめいている。

僕は読んだことのない本に囲まれることが好きなのだと思う。この空間にはまだ内容の知らない本が無数にあって、その中からごくごく一部を選び取ること。悩んでその一冊をレジに持っていくときの背徳感と興奮を感じるために僕は本屋に行っている。

けれども、一定以上に本を買いすぎてしまうと、家の本棚は擬似的な本屋となっていく。いや、ほんと笑っちゃうくらいに読んだことのない本ばかりなのだ。家の中で、フローリングに尻餅をつきながら「知らない本の中から一冊を選ぶ」経験ができてしまう。

本屋における「選ぶこと」はほとんど「購入すること」と同義である。ただ一方、すでに購入された本の並ぶ本棚における「選ぶこと」にはお金がかからない。棚から出して、机やベッドの傍に置くだけである種の興奮を味わうことができる。問題といえば「選ぶ」たびに家が散らかってしまうことくらいだ。

もしかすると、恐ろしいことに気がついてしまったのかもしれない。僕の精神安定剤でもあった「本の購入」が、実は内製化可能だった可能性がある。そうなると、これまで費やしてきたお金は無意味だったのか……?

ただ、一定量の「読んでいない本」がなければ「本棚の本屋化」は実現しなかっただろうことを思えば、あるいはそれを投資と呼ぶこともできるかもしれない。

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