5月19日日曜日、いつものように地下鉄に乗り、音楽を聴きながら社内で流れているコマーシャルに視線を投げる。なんてことない日常のルーティンだが、何故だが今日はここで疑問がポップした。地下鉄のコマーシャル、なんで毎回その場で忘れてしまうのだろう。
正直、目のやり場がないので映像がある場所に視線を置いているだけではあるが、それでもちょっと不思議に思う。見ている時は『あ、ループしたな』だとか、『フォントの使い分け上手いな』だとか、空っぽながらに感想を抱いたりもする。しかし、目的地に着弾して降りる頃にには綺麗サッパリ頭から消えさっている。その場でしか記憶を保持できないように作られてるのかな、なんてあり得ない飛躍をしてしまう程に頭から完璧に消えている。
考えるに、自分にとって電車は『無』を用意する為の時間なんだと思う。予備校とか大学とか、心のアキネーターが『どちらかというと嫌』とノータイムで回答する場所に向かう場合が大体なので、着くまでに心を最適な状態に仕上げておかないといけない。クリーンアップして心のキャッシュを消しまくる。所謂、『覚悟の準備』を無意識にこなすことによって最適な状態で場に赴けるように仕上げているんじゃないかってのが結論。
でも、これでただ単にバカ過ぎて毎回忘れてるとかだったら、流石に悲し過ぎるかも。
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