忙しい1日だった。仕事自体が難しいわけではないが、じわじわとずっと忙しい、そういった1日を送ったわけだ。残業というものは、胸ぐらを掴まれ「やれ!」と言われてするものではなく、ただ単に終わらないからするんだと思いつつ、今日も残業を終えた。少し手が空いていたのは、外回りの仕事だった。たまたま最寄駅あたりで仕事をすることになり、ああ、このまま家帰りたいなと思いつつも、黙々と仕事をこなした。やはり、仕事にはメリハリが必要で、仕事中のタイミングで家が、プライベートのタイミングで仕事がフラッシュバックすると色々と良くない。何よりも、この時間帯にぶらぶらする人を見ていると余計羨ましい。
今日は8時に出社したから、その分帰りも早い。帰りが早い日はあまり好きではないんだ。今の家の近くはファミリー層が多くて、この時間だとどこを見ても子供しか見えない。煙草にも厳しい世の中、最低限のモラルを守ろうとするにも、私の意思とは関係なくモラルを守らされつつ家路をとぼとぼと歩く他ない。家に着いては、ポストボックスを開けると、そこには何も入っていない。まるで私の通帳残高、ひいては私の生き甲斐、頭の中のようなもんだ。空っぽなポストボックスを閉めて、部屋に上がる。そこには、私の家、六畳部屋が待ち構えている。
六畳部屋。狭い家、唯一私が休める場所。
「六畳部屋は他人の国」
尹東柱は、日本統治時代に朝鮮から日本に留学しては、そう記したわけだ。六畳部屋は他人の国。その言葉がふと頭をよぎった。高校時代から去年まで寮生活しかしていなかった私としては、半径2メートル以内に私以外の生命活動が存在しない、この一人暮らしというものが、最初はとても気に入っていたわけだ。人は手に取れないものを見ては幻想と夢を広げるわけだ。 ただ、やはり帰ってきて誰もいない風景は未だ慣れていない。
晩御飯は、スープを作った。 特別スープを食べたかったわけではなく、先日買ったパンが固くなりすぎて、斧でも無ければ食べられそうになかったからだ。
残っている野菜をぶちこんで、塩と胡椒で味をつけて、パンを漬ける。うん、固いな。 明日はもうちょっと柔らかい何かを食べよう。そうしないと明後日には前歯が欠けてしまいそうだ。
運転も掃除も洗い物もロボットがしてくれるような時代に、私はいったいどうして1200年代の農奴みたいに、固いパンをスープに漬け込んで食べているんだ。 そうしなくて良いように技術と文明が発展したんじゃないか。
とにかく、ご飯を食べては、お茶を淹れた。
母親はお茶が好きだった。高校時代には親とよく普洱茶を飲んで、寝る前に自分を落ち着かせてきた。
袋から茶葉を出して、お湯を入れ、最初のお湯は捨てる。二煎目からが本物だと自分に声をかけながら普洱茶を淹れる。
今までの思い出のおかげか、普洱茶を飲むと、誰かと一緒にいるように感じる。幽霊か。
ただでさえ貧乏な私の家に舞い込むなんて、そうするなら家賃半分ぐらい払って欲しい。
普洱茶を飲むのも久しぶりだ。やはり誰かがいる時によく普洱茶を淹れていたから、一人になると普洱茶を飲まなくなるわけだ。
同じく、ピザやシュラスコ、麻雀も一人という語彙とは一緒に使わないんじゃないか。
随分前から、私は一人暮らしをすれば幸せになれると思ってきたんだ。
それはそうとも、10年近くの間を寮にしか住んでいなかった人が持つ一人暮らしへの幻想は今この文章を読んでいる皆様には想像し難いほどの幻想であろう。
唯一問題点は、この根拠の無い幻想には、現実問題は含まれていなかったわけだ。
一人暮らしをしながら感じたのは、トイレットペーパーは自然発生しない、水と電気とガスはお金がかかる、そして人がいない。これらに尽きる。
いつでも一人になれるけどいつでも皆といられる、それが当たり前だと思って、その上での一人暮らしを思い込んできた私だが、一人だけが続くような一人暮らしがそもそも入力されていなかったわけだ。
童貞がエッチな夢を見ると大事なところでは目が覚めるのも、インプットされたデータが無いが故の話ではないか。
ちゃんとした一人暮らしの経験が無い私が、本当に一人になるということを想像できるわけがない。ただそれだけの話だ。
孤独を感じている。
孤独は時には甘くて時には苦い、コーヒーみたいな味がする。
朝に飲むと目が覚め、仕事が捗るが、夜に飲むと眠れず、翌日まで元気が出なくなる、コーヒーみたいな味がするのが孤独だ。
孤独が欲しい時もあれば、欲しくない時もあるわけだが、私は今、朝から夜まで四六時中コーヒーだけを飲まされているように感じている。コーヒーは好きだが、もう良い、たまには普洱茶が飲みたい。
思考が回ると、いつの間にか夜になった。
夜は好きだったが、仕事を始めてからはあまり夜が好きになれなかった。
一日が終わって欲しくない、今日が終わると明日が来るから、それを最後まで粘らせてくれたのが夜なのに、明日のために今日の最後を目を閉じて終わらせるしかない、そんな夜が嫌になった。
夜は来る、明日も来る。そして孤独も必然的に来る。
仕方が無い。明日も頑張るぞというには今日も頑張っていないが、明日は明日で頑張ってみるしかない。
いつかしら、これもまた一興と言える日が来るでしょう。
うまいこと、四六時中コーヒーを飲んでも夜にはちゃんと眠れるような人になろう。
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