歯医者に行った。
歯医者は、徒歩20分、自転車なら10分かからない場所にある。午前中だが、すでに気温は35℃以上。本当は自転車でスイッと行ってしまいたいところだが、慢性的運動不足の自覚があるミドサーとしては、歩ける範囲の移動なら健康のために歩くべき、こういう日こそ頑張りどき、と思い、炎天下での徒歩を己に課した。
途中の道で工事をしていた。歩道に矢印の看板が置かれ、通れない。こういう場合、工事現場の外側にポールを並べて歩行者用の細い道が作られたりするものだが、そういったものは見当たらず、矢印の先を目で追っても、ただ反対車線の車道があるだけだった。
誘導員が一人立っている。きっとこの人が何かしら指示をくれるのだろう。そう思って、歩行者が来ましたよ、という顔をしながら近づく。しかし誘導員、何も指示をくれない。私の存在は認めているようだが、ふらふらとその場で足踏みするばかりで、止まれとか、進めとか、そういう言葉もジェスチャーも、何も与えてくれない。その赤い棒は一体何のためにあるのか。歩行者の自主性に任されているタイプの工事現場なのか? と無理やり納得し、車道に半身乗り出して車がきていないか覗き込んだところ、誘導員がハッとした感じで私と同様に車の往来確認をはじめ、どうぞ、という具合に赤い棒を振ったのだが、そこそこ近くまで車が迫っており、しかも、車道を通って回り込めばいいのか、横断して反対側の歩道に行けばいいのかわからず、お互い「えっ?」「えっ?」とやっているうちに、車が来たので立ち止まり、通り過ぎるのを待った。後続車はいなかったので、とりあえず車道を横切って反対の歩道に渡り、また歩き出す。
「何だったんだ今のは。ちゃんと誘導しろよ」という苛立ちが湧き上がる。そこで、私の頭の中に「あつさのせい」という言葉が浮かんだ。子どものころ、「あつさのせい」という絵本を読んだことがある。曖昧にしか覚えていないが、動物たちが次々と奇妙な行動をとり、それを「あつさのせい」にする話だった気がする。誘導員はこの炎天下で一日中働いている。「あつさのせい」と思うと、多少溜飲が下がった。
歯医者で口の中をコチコチされたのち、帰路につく。イヤホンでラジオを聴きながら歩いていると、長い下り坂に差し掛かった時、ちょうど、ゆずの「夏色」が流れた。ああ、もし自転車で来ていたら最高だったのに。私が慢性的運動不足のミドサーなばっかりに、長い長い下り坂を自転車で下りながら「夏色」を聴く、という小さな奇跡を起こし損なった。
「夏色」というタイトルが極めて秀逸であることに改めて気づく。歌詞の中に、夏色という単語は出てこない。しかし、この歌詞の景色は「夏色」としか言いようがない。
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