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2024年7月4日

コウちゃんさんの日記

これから日々つけている日記を人に見せるわけだけれど、日記を人に見せる、人に見せるために日記を書く、あるいはそうして書かれた誰かの日記を読むってめっちゃ変なことだと思う。自分のために日記をつけるのであれば自分の思うように書いてしまえばいいけれど(とはいえそういうわけにはいかないことのほうが多い)、人に見せるために日記を書くにはある程度情報をボカして書いたほうがいい。そうなってくると「どうボカすか」が問題になってくる。「友達とごはんを食べた」とか「恋人と映画に行った」と書きたいときに、この「友達」を「知り合い」と書いてもいいし、「恋人」を「友達」と書いてもいいし、逆に「知り合い」を「恋人」と書いてもいい。そう思って人の日記を読むと読み方が変わってくる。どの情報がボカされていてどの情報がボカされていないかは、読み手にはわからない。だからこそ、それを逆手にとるようなかたちで人の日記を読む(人の日記で遊ぶ)ことができる。 だから何なんだって話だけれど、そこから逆に「なんで自分のために書く日記でもたまに情報をボカして書くことがあるのか」とか「そうやって秘密(ボカすべき情報)を秘密のままにしておくことになんの意味があるのか」とかいろいろ考えることはあると思う。「日記に対するさまざまな思考を掘り下げ」るという次のテーマにつながるようにちゃんと考えようと思って日記について考えてみました。


医学部再受験中の身である。 「あなたは何をしている人ですか」と問われれば真っ先に「医学部再受験をしています」と答えてしまうだろう程度には、思考の大部分を医学部再受験に持って行かれている。パクリちゃうサンプリングや。


いつもは大学で勉強するけれど、今日は家にいてスローライフを送ることに決めていた。だから10:00前から勉強を始めて、お昼ランチ行ったり病院行ったり整体行ったりした。

ランチから帰る道中、「飲み会で毎回3,000円使うぐらいなら1,000円の洋食プレートをみんなで食べるほうがいい」という話をした。たしかにこれまでみんなに会ってきたのを全部居酒屋に使っていたら今の3倍はお金かかってただろうな。次大学行くときは飲み会カルチャーを破壊したい。

整体ではかなり凝っていたらしく、「サービスか?」ってぐらい長く施術してくれた。ありがたい。こういうちょっとしたサービスを提供してくれる場所が自分の住む街にいくつもあるような生活を送ることができたなら、自分のその街のイメージマップはどれほど充実したものになるだろうと思った。顔見知りの店ってありがたい。 整体行ってから字が綺麗になった。というか字が大きくなった。大きさは変わってないが、余裕がある。多分心理的な字が小さくなっていったら精神がすり減っている証拠だと思う。


スローライフの結果、すごくいい。そもそも疲労の原因として寝不足は考えられる。ある程度のゆとりがないと結構疲労する。どっかでまとめて疲労を癒すというのではあまりうまくいかず、それよりもゆとりやあそびを適度に入れられるスケジュールの組み方、つまりは可塑性のあるスケジュールの組み方を実践するほうがいい。ちょっと昼寝しようとかわざわざランチ行こうとか、イベント単位でのミクロな可塑性があったのが今日だけれど、こういうスローライフを送る日を毎月のうち何日か入れていくことでマクロな可塑性を獲得できると、生活が入れ子構造になって人生がより立体的に浮かび上がってくるんじゃないかとか思った。立体視が最近のテーマです。

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